運営者プロフィール

名前:ひろろ
干支:いのしし
星座:魚座
血液型:AB
好きなもの

ドラマを観ること、カフェオレ、フレンチトースト、スィーツ、スペイン風オムレツ、チーズ、アイスクリーム、バラの花、スニーカー、リュックサック、アフタヌーンティー、ドライブ、学ぶこと、眠ること

◇ドラマに関しては、かつてシナリオライターを目指してシナリオ教室に通っていたことがあります。講座のコースを受ける他に、夏の合宿(麹町ダイヤモンドホテル)、コンテスト・新人賞等に応募するときの添削などプロ養成のためのバックアップがたくさんありました。

講座を修了すると、有望と思われる人は、ライターズバンクに登録されます。オファーが来るとプロへの道が見えてきます。シナリオセンター40周年記念パーテイーで知り合った人の名前が、ドラマの最後に出ていてびっくりしたことがあります。

私は生活苦?(笑)に負けて挫折してしまいました。『継続は力なり』ということわざがあります。貫いた人だけが夢を形にできるのだなと実感しました。東京に行く機会があったら、思い出の地を訪問したいです!

資格

普通自動車一種(中型車〈8t〉)運転免許、実用英語検定2級、国連英検C級、工業英検3級、実用仏語検定3級、第4級アマチュア無線技士ITパスポート3級ファイナンシャルプランニング技能士、準学士(語学)、学士(教養)、2級ファイナンシャルプランニング技能士

母校

所沢小学校・所沢中学校・浦和明の星女子高校明の星女子短期大学【2003年3月廃校】(仏語)・(慶應義塾大学通信文学部3類【中退・取得単位は放送大学編入時に認定】)・放送大学(社会と産業コース)(情報コース)

卒業研究

放送大学(社会と産業コース) 熊谷ハイタウン開発についての一考察(2013年)/放送大学(情報コース) 改正個人情報保護法下における生命保険給付金請求について(2022年)

人生のドラマ

生まれも育ちも埼玉県所沢市。商店街の中心で、庭のある一戸建ての家で育ちました。一戸建てというと、優雅で静かなイメージがありますが、昼も夜もにぎやかな、眠らない街中の一軒家でした。

両親の他に祖父、継祖母、叔母(父親の異母妹)の6人暮らし。私が生まれた頃は本屋とタバコ屋をやっていましたが、私が1歳になる前にやめてしまったそうです。そして両親は公務員として働き始めました。

庭には栗の木が5本と柿の木が3本ありました。でも、栗や柿を自由に食べることはできませんでした。継祖母が庭でなった栗や柿を近所の八百屋に売っていたからです(母から聞いた話)。「無料(ただ)で動くのは地震と風だけだ…」というのが継祖母の口癖でした。

小学生の時朝早く起こされて、「おばあちゃんが起きないうちに栗を拾ってきな」と、母からざるを渡されたことがあります。早朝の庭でドキドキしながら栗を拾ってきました。2階の部屋で栗を煮て、母と一緒に「おいしいね」と言いながら食べたのが懐かしく思い出されます。

引越し

高校3年の春、両親の別居でさいたま市に転居しました。車で移動する途中、桜の花びらが舞ってきれいでした。高校は私立なので同じ学校に通うことができました。ただし、帰りが同じ方角の友達とつきあうようになって、人生がガラリと変わりました。

大宮駅はいろいろな路線が乗り入れている駅です。自宅に帰るためには大宮駅で別れなければならない友達もいました。だから、駅ビルで買い物をしたり、フルーツパーラーで話をしたりしてから帰るのが日課になっていきました。

熱中勉学時代

高校を卒業すると、大半は4年制大学に進学して同級生は皆散り散りになってしまいます。私は高校付属の短期大学に進学しました。高校で紹介されたカナダ人のペンパルは、完全なバイリンガルでした。彼女の影響で、もう一度フランス語を勉強したいと考えるようになったからです。※高校1年時は英語とフランス語が必修科目

行事の時に着る制服も魅力的でした。しかし、そんな甘い考えは入学後すぐに消え去り、地獄のような試験と課題の日々が始まりました。あれほど勉強したことはありません。その経験はあらゆる面で今に活きています。

人生の転機

短大卒業後は、客室乗務員専門の塾に半年間通いました。ある航空会社の採用試験で1次試験の合否通知が届きませんでした。不合格だと思い、新聞系の広告代理店に就職してしまいました。ところが入社後に1次試験合格の通知が届いてびっくり。ちょうど2次試験の日でした。どうやら誤配されたようです。入社したばかりで休みがとれず、試験も5次まであることから、受験は断念しました。

1年後、交通事故を機に建設資材リース会社の事務員に転身。在職中22歳で結婚し、出産準備に入るまで1年6ヶ月ほど勤務しました。

6年後、母がさいたま市の家を売って熊谷の家を購入。家族5人(母、私、夫、子供2人)で熊谷市に転居しました。

30代で再就職、離婚。学習塾、保険会社、出版社等勤務を経て学習塾を経営し、2014年に介護離職(2022年10月母永眠)。2015年3月に放送大学教養学部「社会と産業コース」、2022年3月に放送大学教養学部「情報コース」を卒業。

直近6年間の仕事

仕事は、2019年5月から2023年12月まで、A生命保険会社で働いていました。大学通信教育で知り合った26年来の友人と横浜で食事をしたことがきっかけです。横浜で採用され、熊谷の所属になりました。有給休暇20日、介護休暇10日、特別休暇5日、その他諸々…とにかく休暇が多い会社で、母の介護中は助かりました。

生命保険会社は成績によって収入が決まります。まず、入社前に「一般課程試験」があります。成績が基準に満たない人は入社できません。基準は保険会社によって違い、95点以上でないと採用されない会社もあります。入社後は「損害保険4分野試験」「専門課程試験」「応用課程試験」「3級ファイナンシャルプランニング技能士試験」と試験続きでした。

職員の収入は資格によってランクが分かれています。契約をとっても基準の成績に満たないと、資格が下がるので収入も下がります。その代わり復活制度があり、基準を満たすと元の資格に戻れるので、収入も上がります。とにかくやりがいのある仕事でした。

国家資格取得

2023年9月に受けた2級ファイナンシャルプランニング技能士試験では、学科だけ合格したので、退職後は個人で実技試験だけ受けました。そしてついに2024年6月28日、「2級ファイナンシャルプランニング技能士」の資格を取得できました。2級に合格すると個人で開業ができます。でもその時は、冠婚葬祭の会社に勤めていたので開業はしませんでした。

引越し―人生の一大転機

2023年6月から売りに出していた家が、2024年10月に突然売れました。そのため、通算で約26年間住んだ熊谷の家を売り、2024年11月、猫2匹と一緒に群馬県高崎市に転居しました。※通算は、途中別の市に住んで、また熊谷に戻ったため。

タイトルとURLをコピーしました